スリランカ初の缶コーラ
スリランカでは「缶飲料」はまだ普及していない
最近やっと、缶ビールが増えてきたところだ
酒類ならば、高コストのアルミ缶でもペイできるだろう
ドメスティックビールのライオンラガービール500ml
Rs140(スリランカルピー:110日本円)

相場感覚は、月給20万の人が1本700円を缶ビールに1本に支払っている感覚だ
そこへ登場!
Coca colaに対してkik colaキックコーラ

なんだかパクリだらけの中国製品みたいなネーミング
これで1本Rs90(70円)
月給20万の人が缶コーラ250ml缶に450円払っている感じ…
味は、まあ、普通の缶コーラだ、冷えてて美味しいし、サイズもちょうどいい
しかし!絶望的なデザインだな、これ

暑さもあり、一気に飲み干してしまった
さて、と、缶はどこに捨てようかな…と、缶専用のダストボックスが無い!
ここはコロンボでいちばん大きな駅のホームだというのに
仕方なく家まで持って帰ってしまったのはやはり日本人だから?
スリランカで缶飲料普及のカギは、高コストとリサイクルシステムの定着だろう
ゴミは処分場で手作業で分別している。
この国ではまだまだ人件費が機械化より低コストなのだ

最近やっと、缶ビールが増えてきたところだ
酒類ならば、高コストのアルミ缶でもペイできるだろう
ドメスティックビールのライオンラガービール500ml
Rs140(スリランカルピー:110日本円)

相場感覚は、月給20万の人が1本700円を缶ビールに1本に支払っている感覚だ
そこへ登場!
Coca colaに対してkik colaキックコーラ

なんだかパクリだらけの中国製品みたいなネーミング
これで1本Rs90(70円)
月給20万の人が缶コーラ250ml缶に450円払っている感じ…
味は、まあ、普通の缶コーラだ、冷えてて美味しいし、サイズもちょうどいい
しかし!絶望的なデザインだな、これ

暑さもあり、一気に飲み干してしまった
さて、と、缶はどこに捨てようかな…と、缶専用のダストボックスが無い!
ここはコロンボでいちばん大きな駅のホームだというのに
仕方なく家まで持って帰ってしまったのはやはり日本人だから?
スリランカで缶飲料普及のカギは、高コストとリサイクルシステムの定着だろう
ゴミは処分場で手作業で分別している。
この国ではまだまだ人件費が機械化より低コストなのだ

スリランカに2度目の赴任
まずは自己紹介
スリランカに派遣された日本のODA、JICAのシニア海外ボランティアです
任地はスリランカ最南部のマータラ県ウェリガマ郡

日本では震災の被害が深刻だが、日本人のなかには「今は海外でボランティアなどするより日本をどうにかするべきだ」とか、「不景気だから国際協力などやめてしまえ」とか、否定的な意見を言う方が少なからずいらっしゃるので、あえて今からこのブログで国際協力の現場ではどんなことをしているのか、見てもらうつもりで始めました
景気が良ければ国際協力をしをし、悪くなればやめるような事業ではなく、日本が国際社会で孤立しないためにも必要な事業だと思います。
また、世界は日本だけで存在しません、昭和30年代、新幹線や高速道路、黒四ダムなど、当時の世界銀行からの借金でできた事業です、そして日本が将来、途上国の人たちに支援することを国際約束としているのでその約束を果たすべく、私たちが現地語を習い覚え、現場で貢献しているのです。
とまあ、くどくなるので続きは今後の活動日記をご覧ください
実は2008年10月〜2009年4月まで一般短期シニアボランティアとして食品加工を住民と行ってきたが、この時は「シンハラ語」(スリランカの70%の民族が使用)を知らず、青年海外協力隊員に通訳してもらいながらの活動だった。
帰国後、もう少し住民と細部にわたってコミュニケーションしたいと思い、2年間任期のシニアボランティアに再度応募、駒ヶ根訓練所で2か月に及ぶ語学訓練を受け、再び同じ任地で活動を始めたというわけだ。
多くのボランティア経験者はまず、2年間の隊員生活を送ったのち、短期隊員として再赴任する というパターンが多いそうだが私は逆なのだ これでいいのだ…とまあバカボンのパパのようになってしまったが、常識にはまらないのが生き様として自分に合っている。

今回の任期は2010年1月〜2012年1月の2年間
シンハラ語がだんだん上達するにつれ、住民との会話も楽しくなってくる。

つづく
スリランカに派遣された日本のODA、JICAのシニア海外ボランティアです
任地はスリランカ最南部のマータラ県ウェリガマ郡

日本では震災の被害が深刻だが、日本人のなかには「今は海外でボランティアなどするより日本をどうにかするべきだ」とか、「不景気だから国際協力などやめてしまえ」とか、否定的な意見を言う方が少なからずいらっしゃるので、あえて今からこのブログで国際協力の現場ではどんなことをしているのか、見てもらうつもりで始めました
景気が良ければ国際協力をしをし、悪くなればやめるような事業ではなく、日本が国際社会で孤立しないためにも必要な事業だと思います。
また、世界は日本だけで存在しません、昭和30年代、新幹線や高速道路、黒四ダムなど、当時の世界銀行からの借金でできた事業です、そして日本が将来、途上国の人たちに支援することを国際約束としているのでその約束を果たすべく、私たちが現地語を習い覚え、現場で貢献しているのです。
とまあ、くどくなるので続きは今後の活動日記をご覧ください
実は2008年10月〜2009年4月まで一般短期シニアボランティアとして食品加工を住民と行ってきたが、この時は「シンハラ語」(スリランカの70%の民族が使用)を知らず、青年海外協力隊員に通訳してもらいながらの活動だった。
帰国後、もう少し住民と細部にわたってコミュニケーションしたいと思い、2年間任期のシニアボランティアに再度応募、駒ヶ根訓練所で2か月に及ぶ語学訓練を受け、再び同じ任地で活動を始めたというわけだ。
多くのボランティア経験者はまず、2年間の隊員生活を送ったのち、短期隊員として再赴任する というパターンが多いそうだが私は逆なのだ これでいいのだ…とまあバカボンのパパのようになってしまったが、常識にはまらないのが生き様として自分に合っている。

今回の任期は2010年1月〜2012年1月の2年間
シンハラ語がだんだん上達するにつれ、住民との会話も楽しくなってくる。

つづく




